with CRS

先天性風疹症候群(CRS)の当事者が風疹関連ニュースなどをお伝えするブログです。

週刊モーニング 2013年12/12号(52号)に連載されている「コウノトリ」で、先天性風疹症候群の話が出ていると伝え聞いたので、早速読みました。

CRSのことが漫画になってるのを読むとリアルに想像してしまいますね。心室中隔欠損症ということは生まれた日にすぐ分かったんだろうなあ…白内障も白杖が必要なほど視力が出なかったということは重症だったんだろうなあ…難聴は?ピアノが好きみたいだけど、本当に大丈夫なのかしら?などなど、と。

漫画の冒頭で、今年のCRS報告数、20人と出てますが、漫画を読んでいる最中に、今年25人目のCRS報告があがったというニュースがあり、げんなり。『先天性風疹症候群が報告されました』『去年から続く流行で「先天性風疹症候群」と診断された赤ちゃんは全国で○○人に上り…』という文言を見るたびに、またかよ!と思います。いつまでこんなニュースが続くのでしょうか?

また、漫画の最後に「風疹は注射一本で防げる障害」とあり、この言葉には『風疹に罹る前にワクチンを一本打っておきさえすれば子供を健康に産めたのに…』という親御さんたちの想いが込められているのですが、95~99%の人に免疫がつくとはいっても、一回の接種だけで免疫を十分に獲得できない人がいますし、定期接種対象の子供は二回接種で二本打つことになっているので「一本で防げる」というような言い方は、個人的には、あまり好きではありません。

風疹は注射一本では防げる病気ではないのです。今後再び大流行させないためには、数十本、数百本のワクチンで壁を作って、職場や学校で風疹が流行り、家庭へ持ち込まれ、そして妊婦、赤ちゃんへと、感染の連鎖が起こらないようにする必要があります。

私が風疹に感染したのは1988年で、今年のように風疹が大流行していました。お母さんの周りの人が、ワクチンを打ってくれていれば、お母さんが風疹に罹患することはなかったかもしれない。私が障害を持って生まれてくることもなかったかもしれない。そして今頃失明の恐怖を味わうこともなかったかもしれない。今年、先天性風疹症候群と診断された25人の赤ちゃんが、10年後、20年後に、私と同じように、このような思いを抱くのではないかと思うと、胸が痛みます。

今後また大流行などせぬよう、特に、男性のみなさん、風疹ワクチン接種をお願いします。感染の連鎖を防ぐために、ご家族やご友人と一緒に接種を受けてください。


「悩んでいるのはあなた一人だけではないよ、あなたは一人ぼっちじゃないんだよ」ということを、風疹の子を持つ親御さんや、風疹で生まれた子供たちに、知ってもらいたいです。私が風疹のことを書き始めたのは、ワクチンを打ってもらいたいという気持ちもありますが、日本のどこかで風疹のことで悩んでいる誰かに気持ちを伝えたいという想いもあるからです。

私の気持ちなんかを知ったところでなにになるのよと思われるかもしれませんが、自分一人だけではなく、自分と同じように悩んでいる人が、日本のどこかにいて、なんとかこうして生きているんだということを知っていただくだけでも、意味のあることだと、私は信じています。

私は辛くてどうしようもなくなったとき『なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記』という本を読みます。この本は、風疹症候群で生まれ障害を持ったという過酷な現実と対峙する勇気を、いつも与えてくれます。

著者はユダヤ教のラビで、息子アーロンがプロジェリア(早老症─アシュリーが有名です、テレビで見たことがある人がいるかもしれません)にかかり、なぜ自分の息子が親より早く死ぬ運命に晒されなければならないのか、と悩み苦しみつつ、旧約聖書のヨブ記を読み進めていくという内容です。

題材となっているヨブ記は、善良なヨブという人物がある日突然不幸に見舞われて、私は神を信じ正しく生きているはずなのに、なぜ私がこんな目に遭わねばならないのか、悩み苦しんでいく物語で、これ自体、文学的にもすばらしい作品となっており、一読の価値があるものです。

キリスト教関連の本ではあるのですが、仏教や神道など他の宗派であっても、何かを信じるということ、祈ることに対して、自分なりの答えを見いだすことができると思います。

この本の207ページには、私がこのブログを通して皆さんに伝えたいことが書かれてあります。

苦しみに耐えるだけの十分な強さがその人に備わっているから、神はこのような重荷を与えるのだという常套的な説明は、まったくまちがっています。私たちに災いをもたらすのは神ではなく、巡りあわせです。

それに対処しようとする時、私たちは自分の弱さを知ります。私たちは弱いのです。すぐに疲れ、怒り、気持ちが萎えてしまいます。しかし、自分の力や勇気の限界に達した時、思いがけないことが私たちの上に起こるのです。

その時、外からの力によって強められる自分を見出します。そして自分は一人ぼっちではなく、神が共にいてくれるのだということを知ることによって、苦しみを生き抜いていくことができるのです。

私は「みんな違って、みんないい」という言葉が好きではありません。障害を持って生まれてこなければ、耳が聞こえてれば、人と違うことでこんなに悩まずにすんだのにと思います。もし、人生を選ぶことができたなら、目が見えて、耳が聞こえる人生を選びたかったと今でも思います。

しかし、この苦難だらけの人生から、逃げ出すことはできないのです。これが私に与えられた人生であり、巡りあった運命なのです。二十四年半、この過酷な運命に振り回され、いろいろなことがありました。あと数十年も続くのかと思うと正直げんなりします。

それでも、今日、私がこのようにして生きていられるのは、私に手を貸してくれる人たちがいるおかげです。風疹についても、当事者の皆さんとの出会いがなければ、自分一人だけで悩み苦しんでいて、今こうしてブログ記事を書く勇気を持つことすらできなかったと思います。

もし、まわりに風疹のことで悩んでいる人がいたら、悩んでいるのはあなた一人だけではないよ、あなたは一人ぼっちじゃないんだよ、ということを伝えてあげてください。よろしくお願いいたします。

片目失明者友の会』(←facebookページ)という会があります。現在の法律では、片方が健常(矯正視力0.6以上)であれば、片方が失明していたとしても身体障害者手帳が交付されず、福祉サービスを受けることができません。これを変えていこうと署名を集めていくそうです。

私は右耳の聴力を完全に失い、右目も、ものの形が分かる程度(眼鏡をかけても見えません、視野狭窄と眼振のオマケつき)。それでも「失明」しているわけではないので、身の安全を守るのに十分役立っているようです。それが分かったのは、目の手術をした直後に眼帯をつけたときです。片眼はよく見えるので、あまり不便はないかと思いきや、右側の視界が全て遮断され、まっすぐ歩けないし、右側から接近する車や自転車、人に何度もぶつかりそうになりました(右耳の聴力がないので、余計に危なく感じたのかもしれません)。「ある」のと「ない」のとで、不便の度合いが全く違うのだなあと気づかされました。

本来あるべきものが片方だけでもないというのは、皆さんが想像している以上に大変なことです。皆さんも、一晩眼帯を付けて過ごしてみてください。端っこから見えるような付け方ではだめですよ。上からしっからガーゼを貼って視界を遮断してください。その状態で外を歩いてみましょう(危ないので付き添いの人と一緒に!)。

その状態が何年、何十年にわたって続くとしたら、どう思いますか?その間、身体障害者として扱われることはありません。法律の上では健常者として扱われるのです。健常者と障害者の谷間で、就職差別や資格制限などの困難と闘わねばならないのです。

片目失明者友の会は、来年五月を目標に署名と請願書を国会に提出する予定で、署名は一万人を目標に集めているそうです。福祉の谷間にある人たちのために、障害者認定基準が拡充され、必要な福祉サービスを受けられるように、皆さん応援してあげてください。署名ページは『厚生労働大臣: 片眼失明者を障害者に認定すること。』です。

ちなみに、今お話ししているのは目についてですが、耳のほうについても、聞こえない側の話し声が聞こえづらいとか、どこから話しかけられたのか分からないとか、人とのコミュニケーションが難しい場面があり、片方が聞こえないことで学校や職場で差別や誤解を受けたりすることがあります。取れない資格もいろいろとあります。片側失聴についても、片目失明と同じように、認定基準が拡充されるべきであると思っています。

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